大阪高等裁判所 昭和30年(う)539号 判決
同弁護人は、原判決はその証拠の標目として、原判示第一の(四)第二の(三)の事実について、別所春一に対する検事の第一回供述調書を、同第一(五)第二(四)の事実について、野添栄吉に対する検事の第一回供述調書を援用しているが、右の供述調書は、いずれも第二回公判期日において弁護人が証拠とすることに同意しなかつたため、検察官はその取調請求を撤回し、右供述者を証人として取調請求をなし、その証人尋問の直後、前記不同意の供述調書につき刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号により証拠調を請求したが、弁護人の異議申立により、原田裁判官はその採否を留保し、その後一年四ケ月を経た第二十六回公判期日において別の裁判官たる百村裁判官が右供述調書を証拠として採用する旨の決定をして証拠調をした、また、原判決は、証拠の標目において、原判示第一の(一)第二の(一)の事実につき、細川儀平、佐藤直良、野口貞七に対する検事の各第一回供述調書を、第一の(二)の事実につき、不動輝明、新家竹三郎(昭和二十七年十月三日附供述調書を指すと解する)、上田松郎、谷本保に対する検事の各第一回供述調書を、第一の(三)、第二の(二)の事実につき、土井貫一、赤松米市、吉井吉郎、井上淕一に対する検事の各第一回供述調書を、判示第一の(四)第二の(三)の事実につき、山田正一、小谷芳樹に対する検事の各第一回供述調書を、第一の(五)第二の(四)の事実につき、赤井堅吉、米田国夫に対する検事の各第一回供述調書を、それぞれ援用しているが、これらの供述調書も前同様第二回公判期日において弁護人が証拠とすることに同意しなかつたため各供述者を証人として第三回ないし第十一回公判期日において尋問し、検察官はその直後刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号によりその取調を請求したのに対し、原田裁判官はその採否を留保し、第十一回公判期日において同裁判官が右供述調書の全部を一括して採用決定をして証拠調をした。従つて証人の供述と証拠決定との間には長いもので半年短いもので二ケ月の間隔がある、しかし、右の法条は、公判廷における口頭の供述と前の書面上の供述とを比較し後者を信用ずるべき特別の情況の存するときその後者に証拠能力を認める趣旨であるから、当該証人調についてその公判を担当しない裁判官は特別の情況の有無を判断するに由なく当然証拠調の請求却下の決定をなすべきものである、また、同一の裁判官であつても、特殊情況の有無の判断は証人調の直後において直ちになさるべきものであつて、六ケ月ないし二ケ月の間隔をおいて判断することは、人間能力の限界を超え、自由裁量の範囲を超えている、原判決は証拠能力のない証拠を断罪の資料に供した違法がある、と主張するのである。
(一) よつて、案ずるに、刑事訴訟法第三百二十一条第一項但し書にいわゆる「公判準備又は公判期日における供述よりも前の供述を信用すべき特別の情況」が存するか否かは、結局事実裁判所の裁量にまかされているのであるから、その供述のなされた時の外部的事情及び供述内容の信用性等あらゆる事情を綜合し自由な心証によつてこれを判定するべきものであつて、判定の規準をそのいずれかに限定するべき理由もなければ、また、同条項による証拠の採否決定の時期についての制限もない。事案によつては、右但し書にいわゆる信用性の情況的保障についての心証の形成に至るまで採否の決定を留保することが妥当と考えられる場合があり得る。殊に、供述内容の信用性を判定するについて、採否の決定を留保したうえ、他の証拠の取調をなし、これらの証拠と対照してその信用性を判定することが却つて妥当と思われる場合がある。何も同条項による証拠申請に際して即時採否を決定しなければならない理由はない。従つて、検察官の面前における供述者を証人として尋問した後数ケ月を経てその証言よりも検察官の面前における供述を信用するべき特別の情況ありと判断し、又は、証人尋問をした裁判官が交替し、後の裁判官が記録に基いてその情況を判断して前の供述調書を証拠に採用しても、その判断そのものが合理性を有するかぎり何も違法ではない。
記録を調査すると、検察官は、第二回公判期日において、所論の検察官の面前における供述調書及びその他の供述調書の証拠調を請求したのに対し、弁護人は全部不同意と陳述したため、供述者合計五十四名を証人として尋問することとなり、尋問終了ごとに検察官から刑事訴訟法第三百二十一条第一項但し書により前の供述調書の取調を請求し、弁護人はいずれもこれに異議を申し立て、裁判官はその採否を留保して証人尋問を進行し、第十一回公判期日において、右申請の供述調書中、一部を証拠に採用し、一部を却下し、一部については供述の一部を排除したうえ証拠に採用し、所論の別所春一、野添栄吉についてはなお採否を留保して証拠調を続け、第二十六回公判期日において、交替した裁判官が弁論更新のうえ、これを証拠に採用したことを認め得られる。その経過を観察すると、原裁判所は極めて慎重な態度をもつて採否の判断に当つたものであつて、採否の決定に数ケ月を要し、又は裁判官交替後において採用決定をしたこともまたやむを得ざるところであり、日時の経過によつて右の判断が不可能になつたとは見えないし、また、裁判官の交替後記録によつて判断することができないものではない。
すなはち、これらの供述者は、いずれも被告人等から饗応を受けた必要的共犯者とされているものであつて、そのうちのあるものは、支離滅裂たる答弁をなし、あるものは肝要の点を忘れたと言い又は黙秘し、又は検察官の面前における供述を飜えして却つてその理由の説明に窮している等、公判廷において自己の犯罪となるべき事実の陳述を欲しないと思われるふしがあるに反し、その検察官の面前における供述調書は、いずれも理路整然としており、かつ自発的な陳述と思われる表現があり(例えば、これはえらいところへ引き出された……谷本保、富田のお先棒を担ぐのは嫌だと思つたが……野口貞七、富田さんが次の選挙に出る準備に顔見せに来たのだなあと思つた……赤松米市、後援会を作つて他の人にも加入を勧めてくれと言われその時になつてこれはひよつとしたら次の選挙の準備ではないかという感じがした……山田正一等)、殊にあるものは、検察官の面前における供述の方が真実であると自ら陳述し(例えば細川儀平)、又は検察官の面前において任意の供述をなしそのとおり録取された旨陳述し(例えば佐藤直良)ているものがあり、これを他の証拠と対照してみても前の供述に信用性があると認め得られる(例えば吉井吉郎、井上淕一、小谷芳樹、別所春一、野添栄吉、赤井堅吉、米田国夫等)から、原裁判所が所論の各供述調書を、その供述者の公判廷における供述よりもより信用するべき特別の情況があると判断して証拠に採用したのは相当である。論旨は理由がない。
(中略)
同第五点について
同弁護人は、第三者の行動が選挙の事前運動と解せられるためには、当該選挙に立候補を意図している特定人がなければならないのに、本件においては、富田健治は、国会解散後においてはじめて立候補を決意しあわてゝ自由党に入党したものであつて、本件の当時においては立候補を意図していなかつたから、被告人等の行為は事前運動罪とならない、と主張するのである。
(二) しかし、公職選挙法第百二十九条の違反罪にいわゆる事前運動罪が成立するためには、特定人が当該選挙に立候補を意図し又は決意していることは必ずしもその要件ではない。これは同法第八十六条第二項に定める推薦届出の場合においても事前運動罪が成立することと対照して考えて見れば自ら明らかである。すなはち現実の総選挙に先きだつこと数ケ月前ではあるが、近い将来衆議院が解散せられ、総選挙が行われること及び特定人がその際立候補届出をすることを予期し、右予想候補者の当選を得るについて必要かつ有利な行為を為すときは、いわゆる事前運動罪が成立すると解するべきである。論旨引用の福岡高等裁判所昭和二八年六月三〇日判決(高裁判例集第六巻第八号九九二頁)は、事前運動罪の要件として特定人が立候補を意図していることを要する旨判示したものではない。しかも、原判決の挙示する証拠によれば、富田健治は、いわゆる追放解除後次の衆議院議員選挙に立候補の意図を有し、昭和二七年七月初め兵庫県第二区選出の元代議士白川久雄が立候補を断念するや、同区から立候補する意思を固め、被告人等において同人のために選挙運動に着手した事実を認め得られるから、論旨は理由がない。
(中略)
弁護人Cの控訴趣意第二点について
同弁護人は、原判決は、本件の証拠として、昭和二十七年七月二日附毎日新聞朝刊(証第十三号)並びに同月七日附(六日の誤記である)朝日新聞朝刊(証第十五号)を証拠として援用しているが、新聞は要証事実の実験者が誰であるか補捉できないし、新聞記事が編集されるまでに多数人が介在し、しかもそれはいずれも伝聞証拠の集積されたものに過ぎないから、かかる性質の証拠をもつて要証事実を立証しようとするのは、採証法則に違反する、と主張する。
(三) 新聞、雑誌等は、市場価格、市場報告等特別の場合を除き、原則としてその記載内容に添う事実を認定する証拠に供することはできないが、本件において原判決が所論の新聞紙を証拠に掲げたのは、その日附当時新聞紙上において、近く国会解散が行われると予想されていたこと、宮田健治が一般人から立候補を予想される人としてその氏名が発表されたこと自体を証明し、これを間接証拠として、被告人等及び同人等から饗応を受けた関係者の認識を推理しようとしたものであると解するべきであるから、原審の措置は採証上違法とは言えない。論旨は理由がない。
弁護人A、同Bの控訴趣意第六点及び同Cの控訴趣意第一点について
原判示事実は、原判決の挙示する証拠によつてこれを認めるに足りる。弁護人等は、富田健治は、原判示の頃はまだ立候補の意思を有せず、親戚関係にある頴川徳助の社長たる幸福相互銀行の業務拡張並びに宣伝のためと、将来参議院又は衆議院議員選挙に立候補するについての瀬踏みとして淡路島内を講演して廻るに当り被告人等が単にその講演会の設営をしただけであつて、選挙運動をしたものではない、と主張するのである。
よつて案ずるに、原判決の挙示する証拠によると、富田健治は、昭和二十七年三月追放解除となるや、次の総選挙に立候補を志し同人と姻戚関係にある株式会社幸福相互銀行社長頴川徳助が、その援助を企図し、同年四月六日頃大阪の幸福相互銀行本店における定例支店長会議の席上富田を紹介し「追放解除になつたので中央政界に返り咲きするから今後よろしく頼む」旨依頼し、富田において一席講演をしたのち、頴川が特に被告人別府万兵衛を富田に紹介し、「自分個人のみならず、会社としても、富田を応援せねばならぬ立場にある」旨説明し、「淡路島において富田の応援者を作つてもらいたい、それについては富田から近衛内閣当時の政界の裏面談とか内閣書記官長としての苦心談等を聞く講演会を開いてもらいたい」と依頼したので、同被告人は、帰淡後直ちに同銀行洲本支店勤務の外務員に対し、右頴川の話を伝え、講演会の準備を依頼し、その旨頴川に報告し、同月十六日頃頴川及び富田が淡路島に来て講演をして廻り、かつ、洲本市会議員で元兵庫県第二区選出代議士白川久雄と懇意である被告人生島富士男に案内を頼み右白川と会見する等、準備工作に着手し、同年七月初旬白川久雄が病気のため立候補を断念するや、被告人生島はこれを被告人別府に知らせ、同被告人はこれを頴川徳助に通報し、富田及び頴川は一緒に洲本市に来て、白川と会見し、白川は従来自分の選挙参謀であつた被告人井高八郎を淡路における選挙運動に参加させることを要望し、よつて、同銀行の業務とは関係のない被告人生島及び井高が参加することとなり、ここに被告人別府、生島、井高の三名は、近い将来衆議院が解散せられ、総選挙の行われること及びその際は富田健治が同選挙区から立候補することを予想して、立候補届出前であるにかゝわらず、同人に当選を得しめる目的をもつて、共謀のうえ、原判示第一の(一)ないし(五)のように多数の選挙人を招集し、被告人別府又は井高において、富田健治を紹介し同人が立候補の際には協力を求める趣旨の挨拶をして富田が一席講演をなし、殊に原判示第一の(四)の清水旅館、同第一の(五)の同銀行洲本支店の会場においては、富田健治後援会設立趣意書及び入会申込書用紙を配布し、その後において、それぞれ参集者に対し、富田のため投票並びに選挙運動を依頼しその報酬とする趣旨のもとに酒食の饗応をなし、同銀行洲本支店の外務員たる被告人中村鉄次は原判示第一の(一)、同中川英雄は同第一の(三)、同米田豊市は同第一の(四)、同指熊補子は同第一の(五)の犯行に際し、それぞれ選挙人の招集、酒食の饗応の準備又は世話をしてその犯行を幇助したものであつて、富田健治の講演並びにその後の酒食の饗応の主たる目的は、同人のための選挙運動にあつたことを認め得られる。弁護人等の立証をもつては右の認定を覆すに足りない。記録を精査しても原判決に事実誤認の点はないから、論旨はいずれも理由がない。
(裁判長判事 松本圭三 判事 山崎薫 判事 西尾貢一)